| 媛媛講故事―7 炎帝・神農氏 何媛媛 ![]() 「我々は炎黄の子孫だ」。中国人からこのような言葉をよく聞きます。「黄」は軒轅氏の黄帝ですが、「炎」は炎帝の神農氏を指します。 伝説によると、大昔黄河中流の流域に遊牧の生活をしている姜という部落がありました。神農氏はその部落を治めていましたが、頭は牛、体は人間だった言われています。その頃の人々は狩猟や漁労に携わる一方、野生の果実などを採取して食べ物を得、飢えと寒さに耐えながら原始的な遊牧生活をしていました。人々が苦しむ姿を見て神農氏は、いつでも食べ続けられるようなものを探そうと考えました。 神農氏は旅に出ました。高山を登ったり広い川を越えたり、様々な苦労を重ね、中毒の危険も冒しながら数え切れないほど多数の果実を味わって、とうとう旅の目的に適う理想の植物を得ました。 それが穀物の苗です。神農氏は人々にその苗を植えることを教え、その年から沢山の美味しい食糧を収穫するようになり、農作物の作り方は広がってゆきました。 神農氏は、また医薬の神とも言われています。大昔の人々は病気になることも多く、治療の方法も知られていなかったので、寿命も短かったのです。神農氏は人々の病を治すため、山や川を越えて広い地域を踏破し、死の危険も冒して、様々な草を舐め、薬草の効用を識別し記録しました。神農氏は薬草を発見し、利用した初めての人とも言えるのです。 又、お茶の発見も神農氏といわれています。神農氏が薬草を捜し求めて方々を旅していたある時、小さなみずみずしい緑の木の葉が神農氏の目を惹きました。彼はその一枚を摘んで口に入れて、ゆっくり味わってみますと香り良く、しかもお腹の中が洗われたようにすっきりし、心身とも爽快になってきました。以来、お茶の利用が始まったそうです。 以上のことばかりではなく、神農氏は火を上手に利用して、食べ物を如何に美味しく食べるかを教え、楽器を作って大自然を賛美したり、品物を交換する方法で生活を豊かにする方法などを発明しました。 神農氏は、農業、工業、商業、医学、文学、音楽など各分野で発見や創造を続け、人々の生活を豊かにした ******* 前に戻る TOPへ |
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