「小蓮の恋人 新日本人としての残留孤児二世」 井田真木子著 (文春文庫)

ファンタジーの世界では、さえない主人公が実は魔法使いだったり、お伽の国の救世主だったり…ということがある。そんな小説がベストセラーになる裏には、多くの人の心に「今の自分は仮の姿だ」という悪あがきがあるから、かもしれない。中国の農村で貧困にあえいでいた小蓮の家族も、母親が中国残留孤児であることが発覚、夢の国・日本へ向かって旅立ち…ということになる。けれど、彼らはそこでバラ色の人生を送ることはできない。
中国残留孤児を母に持つ小蓮とその兄弟たちが不幸なのは、中国人でもなく、日本人でもないことだ。日本にいるときは「中国人」として疎外され、中国に行けば「日本人」として好奇の目で見られる。家族の一人はこんな台詞を吐く。「俺たち、中国にいたときも、日本人の血を引いているから、日本鬼と言われた。今、日本にいると、俺たちは中国人と言われる。誰にもなにも言われない国があればいいのにと思うのよ」。年頃を迎えた小蓮は、中国と日本の価値観の間で揺れている。両親の中国的な押しの強さに恥ずかしさを覚え、けれど日本の男性と付き合ってもうまくいかない。けっして恋人にはしたくないと思っていた中国人の男性と、なぜだかうまくいっている。
ある演出家がこんなことを言っていた。異なる価値観の人たちが集まったコミュニティのほうが活性化することを、皆、頭では分かっていても、実際には習慣の違いで衝突してしまう。それを防ぐためにも、ありとあらゆるものが集約された芸術に触れ、違う価値観を受け入れる素地を作らなければならない、と。小蓮も似たことを言う。自分は中国語と日本語を話せるが、これまで言葉は喧嘩のための道具に過ぎなかった。必要なのは文化だったのだと。文化や教養がないから苦しかったと、彼女は10年ぶりに故郷を訪れて初めて悟る。
文化や教養のなさは、受け入れる側にも指摘されることだ。中国残留孤児一家という異文化を受け入れる懐の深さは日本にはなく、そのため彼らは生きにくい祖国で汲々としている。異なるものを受け入れる柔軟さが、自分と違ったものを面白がる余裕と教養から生まれるとすれば、哀しいことに日本はある意味とっても貧弱な国なのかもしれない。(真中智子)