日本が中国の広大な土地を占拠できると信じ、何故かつて人々は満州国に大挙したのだろうか。ずっと疑問だったが、「赤い月」を読んで、なんとなく分かった。

 いま、自分がいる「ここ」から脱出したかったから。身の回りに漂う閉塞感を打ち破りたかったから。だから、彼らは日本を飛び出し、新しい土地で、新しい自分になるために満州を目指した。

 そして、満州はある時期、ある程度の成功を叶えてくれた。それはかりそめの夢だったけれど。

 「赤い月」の主人公・波子は著者の母がモデルだそうだ。華やかで美しく、そして強い女性、それが著者の母だった。先進的な彼女は、北海道の小樽という古い街に倦み、夫の家族との確執に疲れ、満州国を夢見る。現状への不満、このままでは終わらないという焦り…ごったまぜになって、ぎりぎりと奥歯をかみ締めたとき、その先にあった満州。そこに未来があると思えば、誰でもきっと行ってしまうだろう。

 一旗揚げたい気持ちは夫・勇太郎にもある。そうして森田夫妻は家族の反対を押し切り、海を渡った。波子の元恋人の力添えもあり、満州で使い切れないほどの巨財を得る森田家は、けれど、あっけなく身ひとつとなり、逃げ惑う。

 ロシアが攻めてくる直前まで、満州国の日本人たちは、「たとえ日本が敗れるようなことがあっても満州国には関係ない。満州国は確固とした独立国であるのだから」と信じている。それは、今の成功が不安定であることをどこかで感じ、そう思わなければ、不安で押しつぶされそうだったに違いない。

 ロシア侵攻後の波子は、息子と娘を抱え「死なない」ことだけを目的に生きる。自分たちの列車にすがりついてくる日本人を振り落とし、食べ物を恵んでほしいという貧しい親子を無視し、自分たちが生きるためだけに生きる。

 生きるモチベーションを上げるために、夫の気持ちを裏切り、好きな男とやりたいようにする。「生きる」という目的の前で、彼女は究極的に純粋だ。だからこそ、そこに価値観を超えた美しさが見えてしまう。

赤い月       なかにし礼著               新潮文庫